2008年03月14日

最終回のゲスト:石原詢子さん

丹まさとと語る演歌もう一杯!

最終回のゲスト:石原詢子さん
演歌の作詩家にして「富士そば」社長という異色の経歴を持つ丹まさと氏が、毎月演歌歌手をお迎えして、独自の視点から演歌の魅力をお伝えしてきた当連載ですが、残念ながら丸一年を迎える今回で最終回。最後のゲストは、詩吟で培われた抜群の歌唱力と健康的な笑顔が魅力的な石原詢子さん。女性の切ない想いを歌った新曲「なごり雨」は丹氏も絶賛!!(撮影:綿谷和智)



【傘も持たずに立ち尽くすくらい切ない想い】
丹まさと:新曲「なごり雨」が3月5日に発売されますけど、ちょっと大人の歌ですよね。作詩はたきのえいじさんですけど、どこが一番好きですか?
石原:〈いつも悲しい 役まわり/傘も持たずに 立ち尽くす〉というところがすごく好きです。ここだけでこの歌のストーリーがわかるんじゃないかと思うんです。傘も持たずに立ち尽くすくらい切ない想いというのは、やはり女性としては共感できる部分ですよね。
:一番は現在でしょ。二番は過去、三番は未来ということで書かれているんですよね。二番の〈寒さしのぎの お酒より/今も恋しい 腕枕〉は、〈今も恋しい〉って過去になってるでしょ。この持っていき方には本当に心打たれました。三番でも〈季節はずれに 風鈴の/音が心に 沁みてくる〉と、風鈴の音は冬に聴いても感動しないのに、自分がそういう切ない立場だから、心に沁みてくるということを言っていると思うのね。これがすごいなって。ほかにもうまいなぁと思う部分がたくさんあって。とても切ない歌ですよね。
石原:切ないですね〜。本当にそう思います。
:こういったタイプの曲は初めてですか?
石原:20代後半から30代前半に、“好きだけど添えられない”ということを歌った曲はいくつかあったんですけれど、ここまで抑えた歌は今までにないですね。
:僕はデビュー曲の「ホレました」を聴いて、そして今の「なごり雨」を聴いて、20歳の声と40歳の声を聴き比べたんですけれど、やっぱり今はおっしゃられたように抑えていて、若い頃はすごく張ってて。
石原:その当時は頑張って歌ってるんですよね。伝えたい、歌いたい、(声を)張りたいって。でも、この歌では、(大きな声を)出したいけど出さない。歌ってしまうのではなく、語るというところで、当時とはだいぶ違いますね。だから、すごく新鮮ですし、コンサートの中でも、この歌がどういう形で活きてくるのか、これから楽しみですね。

【好きな歌も健康だからできると思うんです】
石原詢子さん:石原さんはとても柔らかい、透き通った声をお持ちですよね。そして僕は健康美人だと思うんですよ。
石原:はい。健康だと思います(笑)。
:健康じゃないとあれだけの声は出ないもんね。健康に気を付けていることはありますか?
石原:たくさん食べることですかね(笑)。食べるし、我慢しない。食べると太るとか、もちろんその辺は気を遣って、なるべく油物を摂らないようにはしてますけれど、食べることがすごく好きなので、それを我慢したらストレスになっていくと思うんです。だから、ストレスを溜めないようによく食べることですね。それと、私はここ数年、風邪を引いていないんですけれど、マスクを必ず持ち歩いていて、寝る時もマスクをして寝ているんです。
:やっぱり健康には気を付けられてるんですね。
石原:もうマスクなしでは眠れなくなりました。最初はいつの間にかどこかに行っちゃってるとか、むずがゆいとかってあったんですけれど、特に今の季節は、加湿器では全然(湿度が)足りないというか。たまに朝になるとゴムの跡がついてたりもするんですけど(笑)。やっぱり健康でないと何もできないので。好きな歌も体が丈夫だから、健康だからできることだと思うんです。
:きっと苦労もたくさんされたと思うんですけれど、歌が上手になる方法を教えていただけますか?
石原:それがわかったら私にも教えていただきたいです(笑)。でもやっぱり楽しむことが一番ですよね。私は父が詩吟の家元で、4歳から「巨人の星」の星一徹のような父について、語れば涙というくらい厳しい詩吟の練習をしていたんですけれど、習わされてると思い始めた時から、詩吟がすごく嫌いになったんですね。父のやることすべてが嫌になって、詩吟の一文字でも見たくないというくらい。でも、それがやらさているのではなくて、自分が好きでやっているという気持ちに変わった時に、初めて詩吟の素晴らしさがわかるようになったんです。だから、“誰かのために”とか、“健康のために”って歌い始めた方も多いと思うんですけれど、“この歌が好き”“この歌を歌いたい”と思えるようになれば、必ず上達していくと思います。
:ありがとうございます。最後に、今後の夢はなんですか?
石原:これから私が数十年歌って、さらにその後でも「この歌が売れたんだよ!」と、後世に残るような曲を持ちたいです。それができれば、もっとやれることも増えてくると思いますし、もっと世界も広がっていくと思いますので、歌手になったからには、日本国民全員が知っているような曲を持ちたいですね。


【 プロフィール / 石原詢子(いしはら じゅんこ) 】
1968年生まれ。岐阜県揖斐郡出身。詩吟揖水流家元に生まれ、4歳で詩吟をはじめ、12歳で師範代となる。1988年に「ホレました」でデビュー。1994年の「三日月情話」が日本作詞大賞の優秀作品賞に選ばれ、次作「夕霧海峡」が大ヒット。以降も多くのヒット作を生み出し、2000年(「みれん酒」)、2003年(「ふたり傘」)には紅白歌合戦にも出場。今年3月5日にデビュー20周年記念シングル第一弾「なごり雨」を発売する。
公式サイト
http://www.junko-ishihara.com
『なごり雨』『なごり雨』
【通常シングル】c/w:一人静
CD:SRCL6743 カセット:SRSL3637 ¥1,200(税込)
【お得シングル】
※通常シングル収録曲に加えて、ヒット曲「ふたり傘」「ほたるのふる里」を収録
CD:SRCL6742 カセット:SRTL2195 ¥1,500(税込)
共にソニーレコード 3月5日発売



一年間、ご愛読ありがとうございました!
posted by staff at 15:52| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

第十一回のゲスト:伍代夏子さん

丹まさとと語る演歌もう一杯!

第十一回のゲスト:伍代夏子さん
演歌の作詩家にして「富士そば」社長という異色の経歴を持つ丹まさと氏が、毎月演歌歌手をお迎えして、独自の視点から演歌の魅力をお伝えする当連載。今回のゲストは、昨年末の紅白歌合戦でも情感豊かな歌声を披露してくれた伍代夏子さん。話を聞けば聞くほど、根っからの歌い手であることを感じさせてくれる対談でした。(撮影:綿谷和智)


【舞台は「京都二年坂」】
:2月20日に新曲「京都ニ年坂」が発売されますけど、京都の歌は初めてですよね?
伍代:そうです。関西ものは初めてなんです。
:伍代さんはバリバリの江戸っ子らしいですね。
伍代:はい。祖父の代からずっと魚屋をやってましたから。みんな気が短くて(笑)。でも、京都の女性はよく「はんなり」とか「おっとり」って言われますけど、京都の女将さんなんかを見ると、みんなしっかりしてますから、そんなに江戸っ子と京都の女性に違いはないのかな、なんてスタッフとも話していたんですよ。
:歌う上では難しいところはありましたか?
伍代:京都の感じだからっていう意味ではそんなに苦労は感じませんでしたね。〈おくれやす〉とか京都の言葉もありましたけど、台詞ではないし、メロディーがついているものなので、それは難しいとは思いませんでした。
:この「京都二年坂」は、結婚はしたけど、旦那さんを失ってしまって、自分がお店を継ぐことになってしまった。だけど、しょせん男とは違って、自分は器も小さい裏方さんだと。あなたのようにはうまくいかないから、女の私には荷が重いのよ。という歌なのかなと。京都の二年坂(二寧坂)って言ったら、櫛(くし)とか簪(かんざし)を売ってるようなお店がいっぱいあるので、こういうお店をつれづれに引き継ぐことになったのかなと思ったんですけど。
伍代:この歌に出てくる女性は、今はヘコんでいるけれども、これから細腕繁盛記のように、この店の看板となって成長していくんだと思うんですよ。その一見しっかりしてそうな女性が、ちょっと今はヘコんでいて、愚痴をこぼしたり、ちょっと弱いところが出ている歌かなと思うんですよね。
:伍代さん自身は、こういう女性への共感はいかがですか?
伍代:今は女性がバリバリやる時代ですし、こういうことも普通なのかなと思うんですよね。たぶんこの歌は、今がんばってらっしゃる京都の女将さんたちが、ちょうど嫁いできた頃の歌なのかなと。まだ頼りないんですけど、この店をやっていくんだと決心する。歌の結末としてはここで終わっているんですけれど、この10年、20年後に立派な女将さんになっている、というのが私のイメージなんです。だから、嫁いで間もない頃に旦那さん失くしてしまったときの歌なんでしょうけど、昔話として明るく歌っています。

【やめられないんですよね、演歌って】
丹まさと:伍代さんはそういうストーリーを自分の中で作り上げてから歌うタイプなんですか?
伍代:私は最初に歌をいただくと、その女性の姿形を思い浮かべて、映像まで勝手に出てくるんですよ。いくつくらいで、どんな風貌で、手を差し伸べなければいけないような女性に作らなければいけないとか。そういうイメージを作らないと声の音色ができてこないので、まず一番最初にその女性を作るんですね。綺麗な人なのか、愛嬌のある人なのか、どんな着物を着てるのか、髪は長いのか短いのか、それはもう歌をいただいときに、ぱぁっと感じるんです。でも、その最初に感じたイメージはどうしても変えられないんですよね。例えば作詞の先生から、「なっちゃん、これは万々歳の幸せな歌なんだよ。だからもっとニコニコ歌ってくれる?」って言われても、「先生、違うんです。申し訳ないんですけど、私のイメージの中では……」というように、勝手に出てきたイメージは、どうも変えられないんですよ。ただ、おもしろいもので、それが10年経ってくると変わってきたりするんです。そのときは頑なに変えられなかったものでも、女心っていうのは本当に裏腹なところがあって(笑)。長いこと歌っていると、「あ、そうなんだ」って気付かされることがあったりするから、やめられないんですよね、演歌って。
:へぇ〜、おもしろいですね。
伍代:それと、冷静に聞くと、作詞と作曲の先生で別のイメージをしている場合もあるんです。私は真ん中でそれを形にしていく立場ですよね。作詞の先生からはピンク色っぽいイメージと言われても、作曲の先生の話を聞いて歌うと、とてもピンクにはならなくて、紫色になっちゃったり。それを近づけていくわけなんですけれど、ピンクだと言っている先生も、紫だと言っている先生も、納得させるような歌ができたときが歌い手冥利に尽きる瞬間ですね。だから、お客さんの前での歌うことも好きですけど、新曲を作るときもまったく違う形で楽しんでいますね。

【楽譜に描けるものはコブシじゃない】
伍代夏子さん:伍代さんの歌は、とても個性が強くて、楽譜通りじゃないですよね。
伍代:楽譜通りは無理ですね。演歌はそれが味だと思うので、ここで一節入れるのよって言われても、入らない人は絶対に入らないんですよ。どれだけ練習をしても、楽譜に描けるものはやっぱりコブシじゃないんですよね。
:伍代さんのように歌いたいという人たちに、歌うコツを教えてあげるとしたら?
伍代:頑張って音符で節を追わないことですかね。例えばコブシをまわそうと思うのであれば、鼻歌みたいにお風呂で気持ちよく歌うことでしょうか。演歌を知らない人にコブシを教えるのであれば、演歌の匂いとはちょっと違うかもしれないですけど、スティービー・ワンダーとか久保田利伸さんとか、あんな感じかなと思うんですよね。
:優しいことのようにおっしゃいますけど、とても難しいでしょうね(笑)。でも、それで大衆を納得させられるのが演歌歌手なんでしょうね。
伍代:納得させようと思っていたときもありましたけど、すべてのお客さんの脳裏に、自分の描いた景色と同じ映像が浮かんでいるかと言ったら、まず無理ですからね。ただ、景色は自分が思い描いてるものと違ったとしても、その人の表情はわかるじゃないですか。「この人は顔で笑ってるけど心で泣いている」とか。そういったものを感じてもらえるように歌えればいいなと思いますね。演歌は特にそうなんですけど、女性が男性にとって都合よく描かれている場合が多いじゃないですか。一人の男性を想い続ける、待ち続ける、すべてを許容してしまう、とかね。でも、「私はあなただけを想って、日陰でずっと待っています」と言いつつ、目がすごく怒ってたり(笑)。すごく弱々しく描かれた待ち続ける女性なのに、長年一人で生きていける強さがあったり。そういったものが段々おもしろくなっていくんですよ。弱い女性を歌っていて、男の人から「なっちゃんいいねー」なんて言われつつ、女性からは「本当は違うのよね。わかってるのよ」って、女性からも共感を得られると、どんどん楽しくなってくるんですよ。男の人にはわからないところがあるのよねって。これが演歌のおもしろいところですね。


【プロフィール / 伍代夏子】
1961年生まれ。東京都渋谷区出身。1987年「戻り川」でデビュー。翌年の"全日本有線放送大賞""日本有線放送大賞"で、演歌では初の最優秀新人賞をダブル受賞。その後も「水なし川」「忍ぶ雨」「恋挽歌」など立て続けにヒット作を発表し、数々の賞を受賞。1990年には紅白歌合戦に初出場(以降、昨年末までに計14回出場)。舞台公演も行うなど、幅広く活躍。2月20日に初の上方演歌「京都二年坂」を発売する。
公式サイト
http://www.voicemusic.co.jp/natsuko/
『京都二年坂』『京都二年坂』
【通常シングル】c/w:恋しぐれ
CD:SRCL6741 カセット:SRSL3636
¥1,200(税込)
【お得シングル】
※通常シングル収録曲に加えて、ヒット曲「水なし川」「雪中花」を収録
CD:SRCL6740 カセット:SRTL2194
¥1,500(税込)
共にソニーレコード 2月20日発売
posted by staff at 15:17| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月11日

第十回のゲスト:南かなこさん

丹まさとと語る演歌もう一杯!

第十回のゲスト:南かなこさん
今回のゲストは、確かな歌唱力と天真爛漫なキャラクターが魅力的な、ブラジル出身の南かなこさん。“ふるさと”をテーマにした新曲「ふるさと帰行」は、親元を離れた経験を持つすべての人に是非お聴きいただきたい名曲です。(撮影:綿谷和智)


【元気な時にしか両親には電話しないんです】
:1月23日発売の「ふるさと帰行」は、木下龍太郎先生の作詩ですね。一番好きなフレーズはどこでしょうか?
:〈母の言葉を 聴きたくなって/そっと電話に 触れてみる〉という歌詞が一番好きです。私は14年前に家族と一緒にブラジルから日本に来て、高校卒業と同時に上京して一人暮らしを始めたのですが、両親は3年前にブラジルに帰っているんです。だから、ふるさとが遠い分、帰るに帰れないという想いがとても強くて……。本当に等身大の曲だと思います。この曲をレコーディングする時は、胸が熱くなって泣いてしまったり、思うように歌えなくなったり、ということもありました。
:1番の〈帰りたいけど まだ帰れない/遠い列車の 笛に泣く〉という部分もポイントだと思います。
:そうですね。距離の遠さもありますけれど、やっぱり何かを掴んでから帰りたいなという想いがありますので、この歌詞はジーンときますね。
:〈遠い列車の 笛に泣く〉というのは、自分の夢にはまだ遠いということを、遠くに走る列車とかけているんでしょうね。1番は郷愁を、2番では親との絆を歌っていますね。
:はい。一緒に住んでいると、ありがたみも薄れてしまいがちなのですが、いざ離れてみると、“こんなにいろんなことをしてくれていたんだ”という感謝の気持ちが溢れてきて。親という存在の大切さを改めて実感しました。
:〈目には見えない 結び目の/絆が心の 拠り所〉。これが木下先生の一番の教えでしょうね。本当に上手い。なかなかこの言葉は出てこないと思いますよ。それで最後に〈母の言葉を 聴きたくなって/そっと電話に 触れてみる〉と。泣かせますね。
:本人が泣いてしまっているんですけど(笑)。電話もかけるにかけれないんですよね。私は自分が元気な時にしか両親には電話しないんです。やっぱり辛い時に電話をすると、親にはすぐわかってしまいますので。
:親は心配しますからね。でも、寂しい時、辛い時、いつでも帰っておいでっていうのがふるさとですよね。この曲は“ふるさと”というテーマを膨らませた、本当にいい歌だと思います。最近の若者にもきっと響くでしょうね。
:そうなんです。先日も私と年齢の近い方が、この歌を聴いて泣いてくれて。一人暮らしを経験された方は多いと思いますし、こういった想いを持っている方は、年齢を問わず、たくさんいらっしゃると思うので、頑張ってより多くの方々にこの歌を届けたいと思います。

【ブラジル移民100周年】
丹まさと:カップリングの「愛愁ルンバ」も素敵な歌ですよね。神戸に生まれた女性が(ブラジルの)サントスへ移民して、〈情熱のまち〉で夢を探して。
:2008年は日本からブラジルへの移民が始まって100周年になるんです。それで私がブラジル出身ということもありまして、ふるさとを大きなテーマに曲を作っていただきました。ブラジルにいる日系の方たちが日本を想う気持ちだったり、日本にいる方々がそれぞれの故郷を思う気持ちを歌っています。
:移民が盛んだった頃は、日本はみんな苦しくて、ブラジルへ行った人が多いんですよね。この歌の女性も夢を求めてブラジルへ渡って、そのブラジルの人たちの心を代弁して書かれた歌ですね。
:はい。私の先祖は九州から移民をしているんですけれども、ブラジルに移民をした方々は、いつか自分の夢は叶うだろうと、そういう希望を持ってブラジルで生活を切り開いて頑張ってこられたので、まさにそういう歌詞になっています。
:2番では舞台が〈ロンドリーナ〉になっていますね。
:日本の方には馴染みのない場所だと思うんですけれど、サンパウロの南にあるパラナ州の街の名前で、私はそこで生まれたんです。コーヒー農園とか、農業がとても盛んな街でして、そういう話をしていましたら、歌詞にも〈ロンドリーナ〉を入れようということになりまして。歌詞のなかにある〈ファゼンダ ジ カフェ〉という言葉は、“コーヒー農園”という意味なんです。これもまったく日本の方には馴染みのない言葉だと思うんですけれど、〈あなたと出逢った ファゼンダ ジ カフェ〉、好きな方とコーヒー農園で出会ったということを歌っています。
:歌っていうのは最後は必ずプラス思考に持っていくから、ここは過去を思い出して頑張ろうというのではなく、〈あなたと出逢った〉という通り、ブラジルでいい人が見つかったんでしょうね。だから、歌も明るく聴こえてくるような気がします。このほかにも、ところどころにポルトガル語が入っていますけど、〈情熱のアローマ〉は?
:〈アローマ〉は“香り”とか“匂い”という意味ですね。
:〈忘れないわ 今もチアーモ〉は?
:〈チアーモ〉は“あなたを愛しています”という意味です。だから、ブラジルを舞台にした、情熱的な曲なんです(笑)。

【夢は紅白出演、そしてブラジル凱旋】
南かなこ:デビューして丸5年経って、いろんな地方へも行ったと思うんですけど、その中で辛いことはありましたか?
:環境的に寒かったり、そういう意味で辛いと思うことはありました。北のほうのステージはやっぱり寒くて、みなさんに思うような歌がお届けできなくて悔しい思いをしたこともありました。でも、基本的に歌っている時は幸せです(笑)。
:反対に嬉しい時は?
:やっぱり歌う時は毎回嬉しいんですよ。まず、自分に歌う場所があるということが嬉しくて、それをいろんな方々が見に来て下さって。毎回、ステージに立つたびに嬉しさや感動を味わっていますね。
:じゃあ、その人たちに報いるためにも、2008年はこの「ふるさと帰行」で頑張らなくちゃね。今後はどんなものを歌っていきたいですか?
:いろんな曲を歌っていきたいですね。小さい頃から美空ひばりさんに憧れてまして、ひばりさんはいろんなジャンルを幅広く歌われた方じゃないですか。だから、歌手という意味で、いろんな歌にチャレンジして、たくさんの引き出しを作っていきたいなと思っています。
:かなこさんの声には、ちょっと渋さも含まれていて、歌謡曲みたいなものも合うんじゃないかな?
:ありがとうございます。「ふるさと帰行」と同じ日にアルバムも発売するんですけれど、アルバムの中にはポップスも入れたり、英語の歌詞が入っている「恋におちて」という曲もあって、いろんなジャンルの曲に挑戦していますので、こちらも是非お聴きいただければ嬉しいです。
:最後に、今後の夢をお聞かせ下さい。
:まずひとつは、紅白歌合戦に出場することですね。毎年ブラジルでも生放送されているんですよ。日本は夜に放送されてますけれど、ブラジルは朝なんです。だからお昼に“よいお年を”って(笑)。その紅白歌合戦に出演して、ブラジルにいる家族にも頑張っている姿を見せてあげたいんです。それと、もうひとつは、ブラジルで凱旋コンサートを開けるようになりたいですね。
:それは是非叶えて欲しいですね。頑張って下さい。
:頑張ります! ありがとうございます!


[ 南かなこ / プロフィール ]
『かなこの2枚目のアルバム』1981年生まれ。ブラジル・サンパウロ市出身。2003年「居酒屋サンバ」でデビュー。同年末に“日本有線大賞新人賞”“日本レコード大賞新人賞”を受賞。誰からも愛される明るいキャラクターを活かし幅広いジャンルで活躍。これまでにシングル6枚、アルバム1枚を発売。デビュー6年目を迎える2008年は、1月23日にシングル、アルバムを同時発売。
公式サイト
http://www.sachiko.co.jp/minami.php
『ふるさと帰行』(c/w:愛愁ルンバ)
CD:COCA-16030 カセット:COSA-1944 ¥1,200(税込)
『かなこの2枚目のアルバム』
CD:COCP-34691 ¥2,300(税込)
共にコロムビアレコード 1月23日同時発売
posted by staff at 17:57| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

第九回のゲスト:多岐川舞子さん

丹まさとと語る演歌もう一杯!

第九回のゲスト:多岐川舞子さん
今回のゲストは、澄んだ歌声で女性の切なさを見事に歌い上げる多岐川舞子さん。デビュー20周年第一弾シングルとして来年1月23日に発売される「飛騨の恋文」を先取り。奥飛騨を舞台にした詩世界を丹氏が読み解きました。



【凛とした女性を映す飛騨の景色】
:1月に新曲「飛騨の恋文」を出されますね。詩に出てくる〈飛騨の白河〉というのは、世界遺産(白川郷・五箇山の合掌造り集落)のあるところですよね?
多岐川:そうですね。昔ながらの伝統的な風景を舞台に書いていただいたと思います。この歌の女性は飛騨の生まれではなく、彼を忘れるために飛騨に行っているんですけれど、歌っていても飛騨の美しい景色が鮮明に浮かんでくるんですよね。濁っていない古風な映像と共に、女性のやるせない気持ちが歌に託されて。
:二番の〈飛騨の細道 昨日を捨てに/いくつ足跡 残したら/あなたの想い出 消せるでしょうか…〉というのは、山の険しい道で、昨日=過去を忘れるために、お百度参りをするようなものなんでしょうね。何回も往復して、どれだけ体を、心を痛めれば、あなたの想い出を消せるのでしょうか、と。
多岐川:彼へのいろんな想い出を、飛騨を旅して歩いたら、いつか忘れられるかと。私はそういうイメージで捉えてましたけれど、お百度参りと言われると、そういう深い捉え方もあるんですね。
:ひとつのドラマですよね。三番の〈紅葉灯りの 手摺にもたれ/深いため息 またひとつ〉というのは、全体を読んで見ると宿でのことを書いているわけですね。紅葉の下で手摺にもたれながら、「彼はどうしているんだろう」とため息をついた時に、〈飛騨の三日月 この手に取って/ 乳房(むね)の奥まで 刺したなら/あなたに抱かれて 死ねるでしょうか…/明日はいらない あゝ月の宿〉と。月の宿と三日月をかけているんですよね。これを“一人宿”にしたらつまらないので、“月の宿”というのはとてもよくできてると思いますね。
多岐川:その歌詩のような情熱的な女性なんですけれど、この風景がとても綺麗にしてくれていますよね。これがもし情念のあるような場所だったら、ドロドロした感じで演じないといけないなと思うんです。でも、飛騨ということで格調高く、この女性自身も本当に綺麗に生きてきた方なんじゃないかなと。彼を忘れられないから海に飛び込みたいとかではなく、彼の幸せのためにそう思うけれども、という凛とした女性の像が出てきて、飛騨の力はすごいなと思いましたね。
:飛騨はとても寒いところだけど、とても空気が綺麗なんですよね。多岐川さんは声が綺麗で澄んでいるから、そういうことも含めて、三日月が澄みきって見えるということを荒木とよひさ先生は書かれたんでしょうね。
多岐川:ありがとうございます。光栄です。これまでは切ない女性の歌が多かったんですけれど、今回は琵琶の音からジャジャ〜ンと入って、古の街という言葉がぴったりの雰囲気ですし、メロディーもちょっと古風な使い方をしていただいて。今までの私の歌にはない、またちょっと違った色の作品だなと思います。

多岐川舞子【「あんたは演歌やで」】
:小さい時から歌手になる夢をお持ちだったのですか?
多岐川:そうですね、父の影響が大きいんです。昔、父は歌手になりたかったのですが、歌手を目指したのが遅かったということもあって、夢破れてしまい、自分に子供ができたら夢を託そうと思っていたそうです。私は3人兄妹の真ん中なのですが、3人とも小さい頃に父から歌を教わっているんです。兄も妹も上手だなと思うんですけれど、年頃になると、兄はスパルタの教え方にちょっと反発しつつ、妹は“お姉ちゃん頑張って”と、2人ともやめてしまいました…。
:じゃあ、お父さんに似たのかな?
多岐川:そうかもしれませんね。父は若い時に五木ひろしさんと同じ学校に通っていたそうで、話を聞くと本当に一生懸命歌手を目指していたそうです。それで私も毎日毎日歌のお勉強をして、父がいない時はカセットに歌を吹き込んで、帰宅した父に今日はこうやって勉強したんだということを聞かせていました。とにかく小学校、中学校の頃は、学校から帰ってきて歌の勉強をしないと、家庭が一日険悪なムードになっていたんです。その後、のど自慢やカラオケ大会に出場したりしまして、13歳の頃に「スター誕生!」にも出場しました。1〜2週目は演歌を歌って勝ち抜いて、3週目に岩崎宏美さんの歌を歌ったら落ちてしまったんです。その時に司会をしていた横山やすしさんに、「あんたは演歌やで」と言っていただいて。幼少の頃はいろんなものを歌える歌手になりたかったんですけれど、その言葉をきっかけに方向性を決めないとダメだなと思いました。
:それで演歌に専念しようと。
多岐川:はい。「スター誕生!」では点数が2点足りなくて落ちてしまいました。その1点ずつが近江俊郎先生と弦哲也先生だったのですが、その時に弦先生から、「演歌を歌うには、まだまだいろんなものを経験して、磨いて磨いて、ちゃんとダイヤモンドになれるように頑張りなさい」と言っていただきました。後になって先生とお仕事をさせていただく機会もあり、本当に嬉しかったですね。「あの時は先生に落としていただきまして」って、今では笑い話になっています(笑)。
:ハハハハハ(笑)。
多岐川:その後、高校1年の時にNHKの「勝ち抜き歌謡天国」に出場するチャンスがあり、そこで、のちの師匠となる市川昭介先生とお会いすることができました。先生からは「高校を卒業してから上京しなさい」と言っていただいて。高校時代は月一回のペースで京都の実家から神奈川の先生のお宅へ、日曜日を利用してレッスンに通いました。朝8時に自宅を出まして、先生のお宅まで片道約6時間かかったのですが、滞在できるのは2時間ほどでした。でもそこで“人として”ということをたくさん教えていただいて。それを高校1年から続けたのですが、卒業する頃にはレコード会社も事務所も全部決めて下さっていたんです。そして高校卒業後上京し、18歳から1年間、いろんな礼儀作法を――全然身に付きませんでしたけれども(笑)――勉強しまして、19歳でデビューさせていただきました。本当に幸運だったと思います。

丹まさと【着物って大変なんです】
:多岐川さんは着物がとてもお似合いですよね。以前、多岐川さんのポスターを見た時に、その佇まいがとても素敵だなと思って。例えば、マイクの持ち方とか、ステージでの所作とか、どんなところに気を遣われていますか?
多岐川:デビュー当時は着物に似合う所作は?ということをよく考えていましたね。今でも悩むことはあります。着物を着るのであれば、やっぱり斜めに構えたほうが綺麗なラインで見せられるのではないかとか、まだまだ勉強中です。
:例えば石川さゆりさんは帯を斜めに締めたり、島津悦子さんはゆっくり大きな動作をすると仰られてました。
多岐川:手の表情はよく言われましたね。フリをするのでも大きく。ただ、取って付けたようなものだと良くないので、手をこの辺まで上げると袖が落ちないで綺麗だとか。もっと大きく見せられればいいんですけれど、着物って大変だったりするんです。
:着物姿で歌っている品はとても綺麗ですよ。みんなが参考にしたいと。
多岐川:本当ですか? そんなこと言っていただけるのは丹先生だけですよ。
:本当ですよ(笑)。以前行ったカラオケ屋さんに、多岐川さんが歌っている姿が額に入って飾ってありましたから。
多岐川:ありがとうございます。嬉しいです。

【歌は生きているもの】
:ところで、ステージに立った時に一番感動する瞬間は?
多岐川:やっぱり“歌が伝わったな”と感じる時ですね。どんなステージでも、どんな場所でも、納得いく歌が歌えて、伝わったなぁと思う瞬間は、何物にも変えがたい幸せを感じます。
:それは拍手の量とかで感じるものですか?
多岐川:“この歌をこういう風に表現したい”ということがちゃんとできた時に、“伝わったはずだ”と思う瞬間があるんですよ。そうしたらやっぱり、聴いてくださったみなさんの表情や拍手にも現れますし。もちろんいつもそうなるように歌っているつもりなんですけれど、歌って生きているものだと思うので。それを感じることができた時はすごく嬉しいですね。まだまだ、努力、努力です。
:来年は20周年になりますけど、今後の夢は?
多岐川:やっぱりライブ感というのがとても好きで、お客さんとの一体感、一緒になれたという瞬間を日々感じてステージに立てるようになりたいと思います。テレビの仕事だったりとか、歌手としてもいろんなジャンルの仕事があると思うんですけれど、ステージで生の歌を届けられる、そういったコンサートがコンスタントにできる歌手になりたいなというのが、大きな目標です。
:ステージがお好きなんですね。20周年という部分では?
多岐川:やりたいことはいっぱいありますけれども……、5周年、10周年、15周年の時も、後になって振り返ってみるとすごく印象深い1年でした。ただ、今まで頑張ってきた歩みの結果だと思うので、そんなに気負うことなく、一生懸命に心を込めて歌えればと。通過点のような気持ちで次に向かっていきたいという20周年にしたいなと思っています。



【多岐川舞子 / プロフィール】
1969年生まれ。京都府出身。1985年、NHK「勝ち抜き歌謡天国」奈良大会でチャンピオンに。その時、市川昭介氏の目に留まり師事を始める。高校卒業と同時に上京し、1年後の1989年に「男灘」でデビュー。歌詩の中の“なんちゃらほい”が話題を呼ぶ。代表曲に50万枚のビッグ・セールスとなった「あんたの海峡」をはじめ、「夢織り酒場」「津軽望郷譜」「幻海峡」「信濃川」「津軽絶唱」などがある。
公式サイト:http://www.maiko-club.jp
『飛騨の恋文』 2008年1月23日発売
CD:COCA-16054 カセット:COSA-1946
1,200円(税込) コロムビアレコード
posted by staff at 15:55| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

第八回のゲスト:香西かおりさん

丹まさとと語る 演歌もう一杯!

第八回のゲスト:香西かおりさん
今回のゲストは、しっとりとした歌声で、グッと心に響く歌を聴かせてくれている香西かおりさん。ポンポンポンの歌声が軽快な最新曲「秋田ポンポン節」で、また新たな魅力を届けてくれた香西さんに丹氏が迫りました。(撮影:綿谷和智)


【企業戦士にも当てはまる「秋田ポンポン節」】
:最新曲の「秋田ポンポン節」は、ポンポン船で漁に行って、「大量に積んで帰ってきたぞ」って、ポンポンというエンジンの音を喜びの表現に置き換えているんですよね。
香西:そうですね。今回はリズムも軽快な歌なんですけれど、そういう喜びの表現として、より軽快さが出るほうがいいなと。
:はじめ2行は特に民謡的な歌い方をされていますよね。
香西かおり香西:私が民謡出身ということもありまして、作曲家の浜圭介先生のほうからも、「今回の作品は民謡のこぶしと声っていうのを聴かせたいんだ」というふうに言っていただいたので、そこを意識して歌っています。
:テンポよくポンポンポンっていう言葉が出てくるのがとてもよくできていますよね。先生からこの曲をいただいたときはいかがでした?
香西:私も港町の生まれで、子供の頃からポンポン船が艀(はしけ)を行きかう景色を見慣れていたので、リアリティもありましたし、すごく親しみが湧きましたね。
:この歌を通して一番大事にしてるところは?
香西:ポンポン船ということで、遠洋漁業などではなく、より日常に近い部分をテーマとしているんですけれど、家族愛だとか、命の大切さだとか、“日々の暮らしの中にある大切なもの”ということを、勢いがあるけど、どこか温かい、というイメージで歌っています。ひとつのスタイルとして漁師に例えているんですけれど、今でいう企業戦士にも当てはまるんじゃないかと思っているんです。頑張っているお父さんがいて、お母さんは家を守って待っている。殺伐としている今の世の中で、やっぱりそこに帰りたいっていう思いだとか、ちょっと懐かしいなと思う感じって、とっても大事なことだなと思うんです。以前はそれが正しく理想系だったんだけれども、だんだんいろんなものに追われる立場になって、大変な思いをして、そのわりには気が付くと寂しかったりとか。でもそうじゃなく、そういうことを思い出そうよ、振り返ろうよっていうメッセージもあると思うんですね。
:その厳しい社会を日本海の荒海に例えて。とてもうまいところを捉えてますね。
香西:ありがとうございます。それと今までの作品は、わりと女歌で、悲しみを表現する歌が多かったので、ファンの方もすごく新鮮さを持って聴いていただけると思います。

【すべてに共通する“人としての感情表現”】
丹まさと:歌手としてプロフェッショナルを支えるものは何ですか?
香西:基本的にステージに立っていることは好きなので、お客さんが多かろうが少なかろうが、一緒に歌の世界を共有できる空間っていうのがすごく楽しいですね。言葉には出さないですけれど、「今こんな感じなの、聴いて」って。いろんな想いがあって、その空間が成立しているので、やっぱりそれが支えなのかなぁ。もちろん、日々の暮らしの中の家族とかスタッフの存在もありますけど、やっぱりステージに上がっているとホッとしますね。ステージで歌っているときって、自分らしくいられる時間ですし。どこからも横槍が入らなくて(笑)。歌に没頭していると、好きなことをやっているからやっぱり幸せじゃないですか。その時間があるということが一番だと思いますね。
:いろんな種類の曲を歌われる中で、すべてに共通しているものはありますか?
香西:やっぱり人としての感情の表現じゃないですか。そこにはたぶん、分かち合う何かがあると思うんですよ。寂しさだったり、喜びだったり、共感できる何かが。「秋田ポンポン節」では、ポンポンポンって男鹿の港をイメージして歌っていますけれど、聴いている人にとっては故郷の海かもしれないですし。だから、そういう疑似的な部分かもしれないけれど、いろんなものを耳から聴きながら、感じたり、思い出したり、っていうことだと思うんですよね。
:最後に、これからの夢をお聞かせいただけますか?
香西:まず、歌手として継続していくことが一番なんですけれど、今はジャンルがすごく増えて、聴きたい音楽はイヤホンとかヘッドフォンで個々に聴いていることが多いじゃないですか。それも進化していくと今後どうなっていくかわからないですけれど、スタイルが変わっていっても、音楽を聴く人口が減っているわけではないので、“時代の中で受け入れていただける音楽”というものにちゃんと関わって、ステージに立ち続けていたいなと思います。


【香西かおり / プロフィール】
1963年生まれ。大阪府出身。向かいの家のおばあちゃんに誘われ、11歳より民謡教室に通い、数々の賞を受賞。その後上京し、作曲家・聖川湧に師事。1988年に「雨酒場」でデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。1993年の「無言坂」は、日本レコード大賞で大賞を受賞するなど、この年を代表する大ヒットを記録。昨年までに紅白歌合戦には14回出場するなど、日本を代表する歌手として活躍している。
『秋田ポンポン節』『秋田ポンポン節』 発売中
CD:UPCH-80030 カセット:UPSH-80030
¥1,100(税込)NAYUTAWAVE RECORDS
公式サイト
http://www4.famille.ne.jp/~aurora/kozai/
posted by staff at 17:53| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月01日

第七回のゲスト:藤あや子さん

丹まさとと語る 演歌もう一杯!

第七回のゲスト:藤あや子さん
今回のゲストは、妖艶な歌で多くのファンを魅了し、小野彩(このさい)のペンネームで作詩作曲も手掛ける藤あや子さん。丹氏も絶賛するその詩世界にググッと迫りました。(写真:錦谷和智)


【民謡から演歌へ】
:角館で生まれ育って、民謡を習っていたんですよね?
:はい。でも最初は踊りだったんですよ。民謡の手踊りというのが秋田にはあって、その踊りを10歳からやってまして。歌を始めたのは比較的遅かったんです。それまではアイドル好きで、百恵ちゃんのファンで、ポップス志向だったんですけど、民謡の世界に入ってからは、やっぱり民謡も歌えないと一座についてまわれないので勉強しました。コブシはここで3つまわすとか、毎日2時間とか民謡を聴きながら、大学ノートに自分なりの解説をしまして。それまではコブシも何もなかったんですよ、アイドル系を目指してましたから(笑)。それから一年くらい経って、ようやく民謡らしくなったかなと思った頃に、日本一の民謡の師匠につきまして、そこから歌を本格的に習ったんです。それが21歳でしたね。
:それがどうして演歌に変わったんですか?
藤あや子:今の私があるのは猪俣公章先生のおかげで。ちょうど民謡を始めた21歳のときに、オーディションにサクラで出たことがあったんですけれど、そのときにいた猪俣先生が「あの子だ!」って言ってくださって。先生がすごく熱心に「東京に出て演歌歌手にならないか?」って。でも私は民謡歌手を目指そうと思っていたので、お断りしていて。24歳のときにNHKの「勝ち抜き歌謡天国」という番組に、「実力を試すためにやってみないか?」って猪俣先生に言われて出場することになったんですが、あれよあれよと言う間に優勝してしまって。その放送があった翌日から、いろんなプロダクションの方から連絡があって。自分の人生が変わってしまったというか、大騒ぎになってしまって。それでもまだ「東京には怖くて出れないわ」っていう気持ちがあったんですけど、一週間後くらいに、当時CBSソニーで松田聖子さんを見出した若松さんというプロデューサーの方から連絡が来て。「あ、ソニーっていうのは、百恵ちゃんのレコード会社と一緒だ」「百恵ちゃんがいたレコード会社だから間違いないかな」と思って(笑)、「秋田にいながら歌手になれませんか?」って相談したんです。それで村瀬真奈美という名前でデビューしたんですけど、やっぱり秋田にいながらでは思うようにいかなくて。「このまま終わりたくないな」と思って、デビューして1年経ってから、「やっぱり上京します」って(笑)。28歳で藤あや子として再デビューしたんです。

【本来の情愛を歌った「紅い糸」】
:藤さんは詩も書かれるんですよね。新曲の「紅い糸」は、〈死にたいなんて 男のあんたに/言って ほしくなかったわ〉〈獣みたいに 抱きしめて〉という詩から「紅い糸」に繋がる、すごく変わった方向に行ってるんだよね。普通ならば、〈見知らぬところで二人の愛を作りましょう〉っていう方向に持っていくのが今までのパターン。好きで好きで、でも添えない二人が、毎晩のように会って、せんべい布団で愛を紡いでも、こんな暮らしは……、もう死にたい、そんなこと言わないで、私を強く抱きしめて、そして「紅い糸」がきてるでしょ。これは素晴らしいなと。
:ありがとうございます。先生にそういっていただけるとすごく嬉しいです。
:いや、僕ね、とてもいい歌だと思って。〈冷えた 刃を 突き刺して〉なんてね、"殺してくれ"ということをこの表現ね、「あ〜、相当考えてるな」と思ったんです。
:歌がとにかく好きで、いろんなジャンルの歌を聴いているんですけど、特に詩や言葉に関しては中島みゆきさんがすごく好きで。男性だったらそこまで落とさないでしょ、っていう突き刺さる詩が多くて、私もああいう歌を作ってみたいっていうのがずっとありました。学生の頃は、「泣きたいときには中島みゆきさん」ってよく言っていて。もう辛くて辛くて泣きたいときには、「今日は中島みゆきさん聴いて寝るから」とか言って、思いっきり泣いて、すっきりして次の日にがんばる(笑)。だから、きっと影響されている部分はあると思いますね。
丹まさと:「紅い糸」では、聴いた方にどんな気持ちになってほしいですか?
:「紅い糸」ってやっぱり永遠のテーマで、「これ本当に紅い糸かな?」って、常に潜在意識の中で考えている部分があると思うんです。最近は男性が弱気になっているので、中途半端な気持ちじゃいけないよ、という意味も込めました(笑)。もっと強く私を引っ張っていて、っていう気持ちで愛する人に、本当に命を捧げてまでも愛して欲しい、それが本来の男と女の情愛じゃないかなって思います。

【しだれ桜とソメイヨシノ】
:ずっと小さな頃から角館にいて、しだれ桜が咲いたり散ったりしているのを見ていると思うんだけど、読者のみなさんに、角館の一番きれいな時期はいつか教えて欲しいんです。
:それはやっぱり桜の時期が一番きれいですね。
:桜の満開? 桜の散るとき?
:私は散るときがすごく好きです。それはもう本当に吹雪のよう。よく舞台とかでバァーッと桜吹雪がありますよね。あれをすべて生の花びらにしたような感じです。角館の武家屋敷には、そのほとんどが天然記念物になっている約400本のすごく大きなしだれ桜があるんですけど、もう本当に素晴らしいんです。ワァーッと簾のようになっている桜が、ハラハラと色っぽく、それこそ妖艶に散っていくんです。2キロに渡る桧木内川の土手にはソメイヨシノがあるんですが、それもブワァーッと豪快に舞い散るんです。はんなりと散るしだれ桜と、豪快に舞い散るソメイヨシノ。その散り際の違いをぜひ御覧頂きたいです。この両者ですね、角館は。
:そういうのを見て育っているのが作詩にも影響しているんでしょうね。
:してますね〜。私の通っていた小学校は武家屋敷の中にあったんです。本当にそこらじゅうが絵になる場所で、天気が良いと先生が「じゃあ、今日はスケッチブックを持って、武家屋敷を写生しに行こう」ということもありました。今思うとすごい贅沢なことをしていたと思いますね。だから美しいものには敏感です。やっぱり男性でも女性でも、佇まいも美しく生きてほしいと思いますね。


【藤あや子 / プロフィール】
1961年生まれ。秋田県仙北郡(現・仙北市)角館町出身。民謡歌手としてステージ活動をするなか、1985年にNHK「勝ち抜き歌謡天国」決勝大会で優勝。1989年に「おんな」でデビュー。20万枚を越えるヒットとなり、数々の新人賞を受賞。ミリオンセラーとなった「こころ酒」「むらさき雨情」など、数々のヒット曲を発表している。
藤あや子『紅い糸』
藤あや子 『紅い糸』
CD:SRCL-6640 カセット:SRSL-3635
各¥1,200(税込) ソニー・ミュージックレコーズ
発売中
公式サイト http://gallery-aya.com
posted by staff at 14:57| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

第六回のゲスト:八代亜紀さん

丹まさとと語る演歌もう一杯!

第六回のゲスト:八代亜紀さん
今回のゲストは、演歌からスタンダード、ポップスまで抜群の表現力で歌いこなす国民的歌手であり、画家としても超一流の活躍を続ける八代亜紀さん。キーワードは“苦労”です。


【若者を励ます歌】
:7月18日に出た「立ち呑み「小春」」、とてもいい歌ですね。
八代:ありがとうございます。やっぱり応援歌なんですね。いわゆる団塊の世代、お父様たちへの応援歌が多いですけど、私が思うには、団塊の世代の方たちは頑張ってきて、知ってきた道をお休みしてるんです。若者は知らない道をこれから歩んでいくわけですよ。だから、お父様、お母様たちは、若者をこれから導いていきましょって。私は数年前から若者を応援しようっていうポリシーでやってきたんですけど、この曲はぴったしなんですよ。〈なっちゃん泣くな べそ掻くな〉っていうフレーズも、「なんかあったのかな?」「東京で失恋でもしてきたのかな?」っていう世話焼きおじさんの歌で。
:とてもいい設定ですよね。
八代:女将もお客さんも苦労人だっていうところがまたすごくいいですよね。若者を励ます歌ですし、本当にあったかい。この〈なっちゃん〉の部分を自分の名前で歌って欲しいっていう要望も多いんですよ。(作詞の)もず唱平先生も(作曲の)円広志さんも、〈唱平、泣くな〉〈広志、泣くな〉って歌って欲しいって(笑)。
:9月19日にはアルバムも出されますね。
八代:はい。『彩月〜いろどりづき〜』と言いましてね。この「立ち呑み「小春」」とか、その前に出した「鰻谷」とか、シングルとして作られた歌ばっかりなんです。松山千春さんの「宗谷岬」も入っていたり、どれも本当に素晴らしくて。9月は“色どり月”という別名があって、“いろんな色がつく月”ということだと思うんですけれど、今回は女の子の新人ディレクターが手掛けた作品で、今までとは違う味で八代亜紀を料理しているので、おもしろい作品になっていると思いますよ。

【全然苦労じゃないんですよ】
丹まさとと語る演歌もう一杯!:いつ頃から歌に興味を持つようになられたんですか?
八代:もともと父が絵描き志望で、幼い頃から父が絵を描くのを手伝ったり、「亜紀も描くかい?」って言われて描かせてもらったりしていて。その合間にお父さんが「休憩しようか」ってギターを弾きながら歌ってくれたの。だから幼い頃から歌と絵といつも一緒だったんですね。それで、小学校高学年の時に、父が買ってきたジュリー・ロンドンのアルバムをきっかけにクラブ・シンガーになろうと決意して。でもクラブ・シンガーなんて言ったら、当時は「不良だ」って絶対に家から出してもらえないと思ったので、歌の道に進むステップとしてバスガイドになったんです。けれど、当時私は10代でピーピーひやかされて、歌うどころか喋ることもできなくて。それで、ガイドをやってるフリしてクラブで歌ったんですね。それがバレて。叱られましたねぇ……。
:そういう時代だったんですね。
八代:そうですね。でも、お父さんが誤解していることを絶対証明しなきゃって、16歳の時に「歌の勉強しに東京に行かせてください」って言ったんですね。もうそれはそれは修羅場だったんですけど。
:絵が描けて、歌が上手で、ざっくばらんで。だから、そんな苦労をされてるとは思いませんでした。
八代:苦労じゃないと思ってましたから。ただ、練習はすごくしてましたね。でも、お金はなかったので自分でレッスンしてました。東京に出る前は実家が運送会社でトラックが何台もありましたので、運転手にエンジンをかけてもらって、ガーッと鳴ってる中で車に閉じこもって発声の練習をして。東京へ来てからも、屋上へ上がらせてもらって練習をして。ただ、それは全然苦労じゃないんですよ。だって自分の好きな道でしょ。「なみだ恋」が売れる前も、30日で28日キャバレー廻りをしたんですけど、歌いだすと「すごいね」「いつか世に出るよ」ってみなさん言ってくれて。そう言われると苦労も吹き飛んだんですよ。
:苦労はしても、全然苦労だとは思わなかったんですね。

【歌はどれも難しくないです】
丹まさとと語る演歌もう一杯!:八代さんは結構低い声が出ますよね。
八代:低い声も出るんですけど、私のキーは女性の通常のキーよりも一音高いんです。感覚では低そうに聴こえるけど、私のキーで歌うと普通の女性は高くて歌いづらいんですよ。
:そんな八代さんに、アマチュアの人たちに対して、歌がうまくなる方法を教えてほしいと思うんですけど。
八代:やっぱり一番気を付けて歌わなきゃならないのは、リズムに乗って歌うことですね。小節を崩して最後だけ合わせるような歌い方をする方がよくいるんですけど、どの歌もリズムがあって、テンポがあるわけですから。リズムをしっかり取って、その歌のテンポで歌う。その中で感情は自然と出てきますから。作らなくていいんです。作ろうとすると間延びしちゃったり、無理に合わせようとして最後がウ〜ウ〜ってバイブレーションになっちゃったりとか。
:ということは、リズムをしっかり聴いて。
八代:そうです。リズムっていうのはすごい大事なんです。リズム感。やっぱりリズム感がないと歌はうまくならないです。「立ち呑み「小春」」も、歌いだしは〈ここは〜〉って、ちょっと浪曲風に歌って味わいを出しているんですけど、リズムはちゃんと合っているんですね。そういうことに気を付けてね。
:でも、この歌も結構難しいですよね。
八代:ちゃんと譜割を覚えれば、歌はどれも難しくないです。譜割を覚えてなくて自分流に歌おうとすると、「どうだったっけ?」みたいな感じになっちゃうんですよ。だからメロディーはちゃんと頭に入れないとダメです。カラオケとかだったら、歌詞は出てくるから覚えなくてもいいんだけど、メロディーは覚えないと、絶対に歌はうまくならない。メロディーは間違ったら最悪ですからね。

【80歳の「舟歌」】
:今後の夢はいかがですか?
八代:私の夢は80歳の八代亜紀なんです。
:それはどういう意味ですか?
八代:80歳になったおばあちゃんの八代亜紀が、1年に1回、「舟唄」を歌うらしいよって。それを一緒に80歳になった人にも若者にも聴きに来て欲しいんです。今は毎年100回ほどコンサートをしてますけど、おばあちゃんになるとそんな回数もできないでしょ。それに、その頃になったら画家の八代亜紀のほうが存在も大きいと思うの。それで、若者は「「舟唄」ってあの画家のおばあちゃんの歌なの!?」っていう風になりたい。それが私の夢です。そしたら悔いはないですね。


【八代亜紀 / プロフィール】
1950年生まれ。熊本県八代市出身。1971年に「愛は死んでも」でデビューし、1973年の「なみだ恋」が100万枚を超える大ヒット。独特のハスキー・ヴォイスと抜群の表現力で、その後も「舟唄」「雨の慕情」など数々のミリオンセラーを記録。現在も年間100回に及ぶ公演を行う国民的歌手。また、フランス「ル・サロン」展で5年連続入選、永久会員の資格を持つなど、画家としても超一流の活躍をしている。
『彩月〜いろどりづき〜』八代亜紀『彩月〜いろどりづき〜』
COCP-34494 3,000円(税込)
コロムビアレコード
9月19日発売
公式サイト http://yashiro.mirion.co.jp
posted by staff at 16:52| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

第五回のゲスト:神野美伽さん

丹まさとと語る 演歌もう一杯!メイン

第五回のゲスト:神野美伽さん
今回のゲストは、広がりのある豊かな歌声に加え、ハツラツとした性格も魅力的な神野美伽さん。日本語の味わい深さに満ちた新曲「ふたりの旅栞」に迫りました。


【人生にフッと挟まる〈旅栞〉】
丹まさとと語る 演歌もう一杯!:新曲「ふたりの旅栞」ですけど、〈淋しくはないですか…/古い友だち 遠くになるわ〉という女のやさしい心。涙が出るような。これは団塊の世代に向けてね。
神野:そういった方々の今と重なるところを歌いたいなって、詞をハメてもらったんですよ。私、キングレコードに移籍して丸8年経つんですけど、ほとんどが主人(荒木とよひさ)と岡千秋先生のコンビで、メロディーが先のものが多いんです。今回のテーマは〈旅〉なんですけど、その旅が何なのかは作詞家に任せて、岡先生にも旅をイメージしたメロディーをお願いして。
:ドラマがあって、とても素敵な、さすが荒木さんだなって。
神野:ありがとうございます。(「ふたりの旅栞」の主人公は)夫婦に違いないと思うんですね。夫婦はお子さんができて、子供を介しての男と女に変わっていくんですけど、いつかもう一回二人で向き合う時が来る。その時が、ちょうど60歳くらいじゃないかなって。最近はUターン現象といって、旦那様や奥様のふるさとに帰られたり、海外に移住なさる方も少なくないでしょ。この歌は、そのどちらでもなくて、ご主人が一番行きたかったところ。二人で何度か旅行をして訪ねている土地だと私は想像するんですけど、それを信濃路に決めて。
:そこに行く途中の歌ですよね。年を取ったら都会での生活を切り替えて、夢の信濃路に行きたいと。
神野:ある程度やるべきことをやったら、最後は好きな人と好きなことをやっていいと思うんですね。〈旅栞〉っていうのも、ひとりの人生を一冊の本に例えて、そこにフッと挟まる、一区切りという意味ですね。
:〈栞〉というのは、迷わないように道に枝を折って置くという意味もありますよね。だから、挟むという意味と、そこから出発するための印という意味と。
神野:あー、そうなんですね! それと、言葉のトリックで、〈秋深い信濃路〉〈初雪の信濃路〉〈春遅い信濃路〉って、季節が展開している気がするんですけど、実は同じ時のことで。〈秋深い〉は冬の始まり、〈初雪〉も冬、〈春遅い〉もやっぱり冬。私も勘違いしそうになっちゃって。
:秋深いということは、初雪もイメージするし……奥深い歌ですね。

丹まさとと語る 演歌もう一杯!【お客様が大好きなんです】
:神野さんはいつ見てもとても健康そうで。
神野:よく言われます〜(笑)。しっかり眠って、しっかり食べて、やりたいと思ったことはすぐやる。行きたいところは日帰りでもバーッと行きますし、演劇や芝居も一人でパパッと行くんです。そういう栄養がないと、人前に出た時にものすごいしんどくて。いっぱい刺激を受けて、何かを感じている人の歌って、やっぱり伝わると思うんですよね。
:歌を聴かせるだけじゃなくて、神野さんの感性とか新鮮なエネルギーも伝えたい?
神野:もちろん一枚でも多くCDを買っていただかないといけないんですけど(笑)。私が幸せなのは、ここ数年間、こんな風にありたいという思いをはっきりさせられているし、自分のメッセージを乗せられる作品を与えてもらえていると思うんです。それと、お客様って不思議で、信頼関係があって。初めていらっしゃった方が、私の歌を聴いて、ボロボロ涙を流してくださる。それは、私の歌に対して“あなたのメッセージを感じてるわよ”っていう気持ちがないと泣けないと思うんですよ。10代の頃に、師匠の市川昭介先生に、“お客様に信頼される歌い手になって欲しい”ってずーっと言われてたんですけど、20年くらい経って、「浮雲ふたり」(2003年発売)という作品と出会ってから、舞台の上で、お客様と私の間になんとも言えない空気ができて。その時に市川先生が言っていたのは、こういうことなんだな、と感じることができたんです。
:お互いを信頼し合える空気っていうのは?
神野:私は10代で一人で東京に出てきて、知らず知らず身を護ることばかりを身に付けてたんですけど、8年前に結婚して、何があっても帰れる場所を見つけたんでしょうね。そうしたら本来持っていた人好きなところがすごく出てきて、お客様に対しても……私、大好きなんですよ、お客様が。そういうお客様との距離感みたいなものって、人間だから通じるでしょ。信頼云々っていうことも、今はこういう時代だから、私が結婚していること、相手が誰であるとか、みんなわかるわけですよね。昔のスターみたいに神秘的じゃないんですよ。どっちがどうっていうことではなくて、こういう時代だから、いろんなことを含めた神野美伽の歌が好き、共感できるって言ってもらえたらいいなぁって思いますね。


【神野美伽 / プロフィール】
1965年生まれ、大阪府貝塚市出身。1984年「カモメお前なら」でデビュー。「男船」「じょっぱり船」「連絡船恋歌」「春夏秋冬屋形船」など、“船”をテーマにした演歌で人気となる。ハツラツとした性格と豊かなチャレンジ精神で、1999年には全曲韓国語のアルバム『海峡をこえて…OVER THE SEA』で日本人初の韓国デビュー。NHK「紅白歌合戦」には1987年、2003年の二度出場を果たしている。
公式サイト http://www.kingrecords.co.jp/shinnomika
『ふたりの旅栞』神野美伽 『ふたりの旅栞』
CD:KICM-30088 カセット:KISX-30088
各1,200円(税込) キングレコード 発売中

神野美伽リサイタル'07
10月3日(水)渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)
(問)東京音協 03-3201-8116
posted by staff at 16:20| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月02日

第四回のゲスト:島倉千代子さん

200707_main.jpg

第四回のゲスト:島倉千代子さん
今回のゲストは、その軽やかな歌声で数々のヒット曲を生み出し、50年以上第一線で活躍を続ける国民的歌手・島倉千代子さん。最新シングル「おかえりなさい」もホッと心休まる名曲です。


【みんなを結ぶ「おかえりなさい」】
島倉千代子:向こう3年で団塊の世代(昭和22〜24年生まれ)の人が60歳になって、800万人近くの人が定年退職になるんですよね。今度の新曲「おかえりなさい」は、その人たちが奥さんのもとに帰って、“これから第二の人生を一緒に始めましょう”というような、あったかい歌だと思うんです。
島倉:家族のために一生懸命働いて、頑張ってきた団塊の世代のみなさんに、「おかえりなさい」って歌っていると、私もとってもやさしい気持ちになるんですね。だから、その思いがみなさんに伝わってくれれば嬉しいなと思います。団塊の世代だけではないんですけれども、人間って一日一日が常に出発なんですよね。今までの私だと、自分を盛り上げるために、あえて明るい歌を書いてもらってきたんですけれども、今年3月30日で古希(数えの70歳)になりましたので、その出発として島倉千代子らしい歌を歌いたい、と。
:とても素敵な歌ですよね。この間、僕、秋田のほうへ行ったんですけど、ホテルのそばに残雪があって、遠くで誰かが雪合戦して遊んでるんですよ。近くへ寄ってみたら、まさに団塊の世代のご夫婦で、“あぁ、この人たちはやっと二人になれて、子供みたいにはしゃいで、学生時代に帰ってきたんだな”と思って。この歌を聴いたときに、そのことを思い出して涙が出てしまって。
島倉:ありがとうございます。「おかえりなさい」という言葉はすごく広い意味を持っていると思うんですね。あなたが会社から帰ってきたから「おかえりなさい」、私のもとに帰ってきたから「おかえりさない」、っていうだけじゃなく、いろんな意味があって。日本語の中でも何気に使ってますけれど、すごく大事な言葉なんだって、私もこの歌によって改めて考えることができたんです。
:ご夫婦で「おかえりなさい」を言える人生って素敵ですよね。
島倉:団塊の世代の男性の方とお話ししたら、“「おかえりなさい」って、ずいぶん長いこと言ってもらってないな”と言われてまして(笑)。女性は女性で、“そういえば忘れてたわ”って(笑)。それで、“この歌を聴いてから、「おかえりなさい」って言うようにしてます”と言っていただいて。だから、「おかえりなさい」というひとつの言葉が、みんなを結びつける歌であったら素敵だなって。

【70歳になって明るくなりました】
演歌もう一杯!:うちの近所に大学があるんですけど、そこの大学生がホッケーをやっていて、合宿のお部屋に島倉さんのポスターを貼ってるんです。“なんで?”って訊いたらね、“島倉さんはあんなにやさしいんだけど、中にすごいファイトを持ってらっしゃる。でないとこんだけの偉業はできない。俺たちも島倉さんからそのパワーをいただきたい”って言うんですよ。
島倉:まぁ! 嬉しいわ、そんなお話を聞けて。
:僕も立ち食いそばをやっていて、お店に来るおじさんでも、島倉さんの熱狂的なファンが何人もいるんですよ。で、そのほとんどがダラダラした人じゃなくて、厳しい仕事をされてた人なんですよね。強いものを持っている人はやっぱりそういうことを見抜くのかな、と思って。島倉さんは、ご自身を強い女だと思います?
島倉:脆いところはすごく脆いですけど、歌に対しては絶対引かないですね。自分の思った通りに進んでいきたい。決めるまではすごく悩みますけど、決めたことは絶対やります。だから、強いんじゃないかと思いますね。私の子供の頃の写真は強そうなんですよ。目力もキッとあって。でも、歌が好きで、歌がなかったらどうなってるか、私はまったく考えられません。歌があるから諦めないで強く生きてこれた。
:歌っている感じですと本当にやさしい人だなーと思うんだけど、中身にはすごいものを持っていて、そういうものが魅力のひとつになっているんでしょうね。
島倉:私ね、70になって変わりましたよ。ストレスで声が飛んでしまった時期があったんですけれど、諦めないで頑張って、70になって声が戻ってきて、そこから明るくなったんです。それで、70になったから、人に迷惑かけなければ何やってもいいじゃない、っていう思いになって。今度は自分を奮い立たせて歌う歌じゃなくて、一緒にみなさんと楽しめる歌を作りたいとお願いして、「おかえりなさい」ができたんです。だから、私の気持ちも相当やわらかくなっていると思うんです。守りに入ったわけではないですけど、自分の声と体さえ守っていけば歌は歌えるんだ、っていう風になってますね。そういう肩肘を張らない目標ができたから、少し明るくなったんじゃないかと思います。 


【島倉千代子 / プロフィール】
1938年生まれ、東京都品川区出身。1954年、第5回コロムビア歌謡コンクールに出場し「涙のグラス」を歌って優勝。翌年「この世の花」でデビュー。数々のヒット曲を送り出し、NHK紅白歌合戦には1957年から1987年に出場辞退するまでの30回連続を含む通算35回出場。1999年には“平成11年度秋の紫綬褒章”を受賞するなど、日本を代表する歌手として、デビューから50年以上経過した現在も第一線で活躍中。
島倉千代子 『おかえりなさい』島倉千代子 『おかえりなさい』
CD:COCA-15989 カセット:COSA-1926
各\1,200(税込)
コロムビアレコード 発売中
公式サイト
http://www.chiyokoshimakura.co.jp
posted by staff at 15:01| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

第三回のゲスト:山本智子さん

演歌もう一杯!


第三回のゲスト:山本智子さん
今回のゲストは、丹氏も絶賛の美しいベルベット・ボイスで多くの演歌ファンを虜にしている山本智子さん。意外なエピソード満載の対談をどうぞ!


【パンダを見に来たら歌手に!?】
:小学校の頃に五木ひろしさんの「暖簾」を聴いて歌に目覚めたそうですね。
山本:そうなんです。生意気なんですけれども、佇まいというか、永井龍雲さんの詩の世界観に。私は愛媛の南宇和という漁師町の出身で、気の荒い男の人が多い環境で育ったので、男の人が“寂しい”とか“あの女(ひと)に会いたい”とか“酒に叱られる”っていう詩の世界がすごく衝撃だったんです。酒は飲んで陽気になるものだと思っていたので、演歌っておもしろいんだなぁって。後々フォークソングだということを知ったんですけども、五木さんですと「契り」とか、アコースティックな曲が好きですね。
演歌もう一杯!:東京に出てきたきっかけは?
山本:はじめスカウトされた(高校生の)時は歌手になりたくなかったんです。一度お断りしたんですけれども、手紙を書く事が好きで、スカウトして下さった方と文通していたんですね。それで、卒業したら大学かなんかに行って、ということを書いたら、“卒業旅行に東京に遊びにおいで”って速達で返事が来たんです。“えぇ〜”って思ったんですけど、私は動物が好きで、愛媛にパンダがいなくて、“生のパンダを見たい”と思って東京へ(笑)。上野動物園に行った後に“ちょっと会わせたい人がいるんだけど”ということで今の事務所に連れて行かれて。話を聞いていたら、いつ東京に出てきて、レコード出したらどうして、っていう話になって、ボケーっとしてたら歌手になってたんですよ(笑)。
:パンダを見に来たら歌手に(笑)。もともと声が綺麗ですしね。
山本:デビュー前にしたボイス・トレーニングでも、喉や声帯をこれ以上加齢させないように、5分声を出したら10分休んで、みたいな練習をしていましたね。どうしても年齢を重ねると、声って太く低くなりますので、いかにこの感じをキープするかっていう練習を続けていました。
:今回の「明日船」を作詞された吉田旺先生も、声の質をとても気にして書かれてると思うんですよね。
山本:本当に綺麗な歌ですよね。
:弱い立場の女の歌が多いですよね。「明日船」は不倫もので、前の「花しぐれ」(2005年12月発売)とは反対の立場の歌ですよね。
山本:「花しぐれ」の時は、歌うより聴きたいという男性の方が多かったんですけど、今回の「明日船」は歌える曲ということもありまして、女性の方も増えてきました。楽曲でこんなに変わるんだっていうことを、今すごく感じています。

演歌もう一杯!【けっこう逞しいですね(笑)】
:マイクを持つ時や歌う時の仕草で気を付けていることはありますか?
山本:クセなんですけど、親指、中指、薬指の3本で支えて、キツネみたいにして持ってます。全部の指で握って持つと男みたいじゃないですか。このほうが無駄な力も入らなくて。それと、最近は花鳥風月の着物ではなくて、パッチワークになってたり、右からと左からでラインが違う着物を着ることが多いので、一番見せたい角度を決めてステージに立つようにしてますね。
:今、“よし、頑張ろう”と支えになっているものはありますか?
山本:来年で10年目になるんですけれど、今10年間ひとつのものを大切に使うことって少ないじゃないですか。私自身も便利の物に慣れてしまっているし。そんな中で期待して下さって、支えていただいているスタッフの方々や、曲を作って下さった先生方のために頑張ろうって。自分のためだと諦めてしまったり乱暴になりそうですけど、人のためだったらもっと違う気持ちで頑張れるタイプかなって、ようやく最近わかってきました。
:A型ですか?
山本:A型です。
:僕もA型だけど、A型は周りに気を遣ったり、環境に気を遣ったりして伸びていくんだよね。僕は道夫っていうのが本名なんだけど、いろんな人が自分の道を歩いてくれることによって僕が大きくなれると、それで母親がつけてくれた名前なんですよ。A型はそれを苦にしては駄目。人のために頑張っていることがエネルギーになっていくんですよ。
山本:あ〜。“自分が”ってなると、どこか変わってきてしまうんですよね。ちょっと元気のない田舎の町も、バスがなくなって老人が出てこれなくなったりしているので、町にバスを寄付できるくらい稼がなくちゃ、って。
:けっこう逞しいですね(笑)。
山本:自分のことは本当に最後でいいんですけど、田舎の山の中に住んで、羊とか鳥とか、特にタカとかワシとか猛禽類が好きなんですけど、毎日生の動物を見て、絵を描いたり絵本作ったり、そういう老後を過ごせるようになりたいですね。


【山本智子/プロフィール】
『明日船』1978年生まれ、愛媛県南宇和郡出身。1999年「海峡花火」でデビュー。魅惑のベルベット・ボイスで「第41回日本レコード大賞」新人賞をするなど大きな話題に。これまでに9枚のシングルと『ベストコレクション哀秋花』を発表。テレビ「平成歌謡塾」(全国19局ネット)のMCや、レギュラーラジオのパーソナリティーとしても活躍。現在、今年2月に発売された最新シングル「明日船」がロング・ヒット中。
公式サイト http://www.arder-jiro.co.jp
山本智子『明日船』
CD:COCA-15962 カセット:COSA-1913 \1,200(税込)
コロムビアレコード 発売中
posted by staff at 15:11| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。